気功の練習において心掛けるべき点を解説します。
気功のやり方は「これが絶対」ということはなく、また数多くの流派の伝統によってもまちまちです。
しかし初歩の時点で大切なことは「気を感じるための練習」を目指すこととなります。
気という感覚の会得なしでは始まらない
「形」としての気功の練習法は、それこそ書籍やネットでいくらでも紹介されています。
しかし、ただ闇雲に形を真似しているだけでも、気功の上達は難しいのではと思っております。
なぜなら、気功の練習を主たる目的は「気」を感じること、すなわち「感覚の育成」だからです。
「形」は外側の器であって、本質ではありません。
大切なことは「気の流れに気づくこと」です。
「気」は誰でも感じているもの
「気」の源は「意識」です。
「意識」は当然物質的なものではありません。
しかし「意識」が「気」となって体に伝わる時、それは「実感」を伴って感じることができます。
例えば緊張していたり、怒っている人のそばに行けば、何もされずともその気は伝わって、周りの人も緊張感に包まれます。
また、「人の気を察するのが上手い」とか、「場の空気を察する」という言い方もあるように、気を読み取るということは、人間において不思議なことではなく、むしろ誰にでも当然ある感覚なのです。
同じように、自分の意識が強く伝わる時、体感としてその気を感じることができるのです。
しかし、身体が意識に敏感になり、
「気」と「意識」の関係についての詳細は下記動画をご覧ください。
「体を練る」ことが「気功」の練習
どのようなことでも、長い時間繰り返し行なっていると、感覚が鋭敏になるものです。
例えばお肉屋さんは「牛肉100g」を言われれば、ほぼ100gの肉を掴むことができますし、ゴルフの選手は何ヤード離れているかおおよそ掴むことができます。人間の感覚というものは、繰り返し行うことで、どこまでも磨かれていきます。
「気功」の練習はまさに「気」を感覚を養うことに他なりません。
このことを「気の体を練る」と言います。
「練る」という言葉を調べてみると
『堅い物、粗い物を、こねたりたたいたりすったりして、柔らかくきめ細かにする。』とあります。
すなわち、荒削りな感覚を「練る」ことできめ細かくする、ということになります。
また、「練る」には「繰り返す」という意味もありますが、「気功」においてはこの繰り返しこそ大切です。
繰り返すことで、その感覚は鋭敏になるだけでなく、日常生活の中で意識しなくても気を感じることができるようになってきます。
「気功」を実用として使うためには、日常生活の中で活かされなくてはいけません。
すなわち、練習の時だけ「気」を感じても、日常生活において感じなければ、実用化していないということになります。
職業病という言葉があるように、人間は毎日繰り返し行っているものは、生活のなかでも常に意識して役立てることが可能です。
「気功」の練習も同じように、日々の生活の中に溶け込むくらい、毎日繰り返し行うことが大切です。
そうして気の感覚が備わった体のことを「気功体」と呼びます。
気功の具体的な練習の形は下記の書籍にあります。
私の気功の師の一人である「盛鶴延老師」の著書です。ぜひご覧ください。
今回もご覧いただきありがとうございました。
何らかの参考にしていただければ幸いです。
次回もお楽しみに!
喜多原 歓喜地