こんにちは。喜多原 歓喜地です。
今回のテーマは「合気之錬体」です。
「合気之錬体」は吉丸慶雪派大東流の技術体系において、根幹をなす理論であり、目指すべき大きな到達点の一つとも言えるものです。
「合気之錬体」を完成させることにより、運用される全ての力はいわゆる人間動作から「透明な力」に変容します。
これにより、通常の人間動作では表現できない、「剛柔自在」「緩急自在」の動きを実現することができます。
下記動画と合わせてご覧ください。
「透明な力」と「伸筋制御運動」の詳細については以下の記事もご参考ください。
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合気の原理「透明な力③ 伸筋制御運動の認識」
こんにちは。喜多原 歓喜地です。 今回のテーマは「伸筋制御運動の全面的認識」です。 「伸筋制御運動」をしっかりと認識することで、そのための鍛錬や練習目的、各技法の理論が明確化してきます。 ...
全ての動きを「伸筋制御運動」にする
「透明な力」を運用するためには「伸筋制御運動」を行う必要がある、とこれまでお伝えしてきました。
しかしそれは正確な意味としては表現が足りません。
なぜなら、「伸筋制御運動」は運用しようとしても、部分的にしか使用していない場合がほとんどだからです。
以前のブログでお伝えした通り、「伸筋制御運動」はスポーツや芸事など、様々な場面で使われます。熟練したプロ選手や達人の技を持つ職人の動きは、極めて精密でしなやかな「伸筋制御運動」を運用しています。
しかし、スポーツや芸事は、ある意味「目的を持った動き」となります。
例えばテニスだったら「ラケットを振る」という目的に特化した動きです。ピアニストならば「鍵盤を指で弾く」という目的です。
プロ選手や職人が「伸筋制御運動」を使っていることは間違いありませんが、しかしその目的は限定的なため、その目的を達成するための「伸筋制御運動」となります。すなわち一部分的な「伸筋制御運動」ということになります。
その部分的な「伸筋制御運動」により、確かに一部分では「透明な力」を運用することになります。しかしそれは、佐川幸義先生の言う完全な「透明な力」とは区別して考えるべきです。
佐川幸義先生の言われる真の意味の「透明な力」は、全身の動きがいかなる時も「伸筋制御運動」によって運用される、完全な「透明な力」の発現のことを指します。
そして、全ての動きが「伸筋制御運動」で機能する体の状態を
と呼びます。
吉丸派大東流の稽古目的は「合気之錬体」になること
吉丸慶雪は、長年に渡る佐川幸義先生の合気之術の研究の果てに、佐川幸義先生の稽古内容の目的は「合気之錬体」を作り上げるため、という結論に至りました。
「透明な力」を運用しなくては、技をどんなに研究していても、それは通常の「人間動作」の枠からは出ないことであり、それは結局はテクニックの延長に過ぎないことになります。しかし、佐川幸義先生は「透明な力」を使うからこそ技が本質的に変わることになる、ということをおっしゃっていました。
よって吉丸慶雪は、技の研究は二の次であり、まず目指すべきことは「透明な力」を理会し、それを自在に使える体、すなわち「合気之錬体」を作ることこそ、何より大切なことと位置付けました。
そのため吉丸派大東流の稽古体系は全て「合気之錬体」を作り上げていくこと、そして「透明な力」を運用することを眼目にしています。
「合気之錬体」については吉丸慶雪の下記の著書「合気道極意の秘密」に詳細が書かれております。ご一読を強くお勧めします。
「合気之錬体」になれば、動けば全て合気柔術となる
「合気之錬体」になることによって、その動きから生まれる力は全て「透明な力」となります。よってその力は単純な筋力から生まれる力ではなく、「剛柔自在」「緩急自在」の貫通力を伴う力となります。
この「透明な力」を従来の「柔術」に運用することで、「合気柔術」に進化します。「合気柔術」の特徴はしなやかで相手の力を吸収しつつ、ぶつからず、なおかつ相手の体を貫通する性質を持ちます。
これにより、力の強い相手や、関節技が効かない相手にも、技が通用することになります。
佐川幸義先生は
とおっしゃいました。これは全ての柔術技が「透明な力」によって運用されることを意味します。
ただし補足しておくと、これまで述べてきた通り、「透明な力」は「合気」そのものの意味ではありません。
よって正確には「合気柔術」は「透明な力によって運用される柔術」と記すのが正しい理解かと思います。
つまり「合気」を掛ける技術、すなわち「合気之術」とはしっかり区別しておく必要があります。
以上、今回は「合気之錬体」に関するお話でした。
ご参考にしていてただければ幸いです。
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今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!